僕は完璧な人間になりたかった。
失敗しない人間になりたかった。

僕の欝は、この完璧を目指すところから来てるように思う。

多くの人が、子どもの頃に親から言われたであろう事。
「ちゃんとしなさい。」
「キチンとなさい。」
「頑張りなさい。」
僕は、ひたすらにそれを守ろうとした「良い子」でした。

友達によく言われてました。「正直に生きるのは良いけど、
度が過ぎるよ。そういうのバカ正直って言うんだよ。」って。

でも僕は、その意味に気付いていませんでした。

みんなが幸せになるために、
親が望む子どもにならなければ。だから泣かない。我侭も言わない。
先生が望む生徒にならなければ。だからいつも明るく。反抗もしない。
友達が望む友達にならなければ。だからよく話を聞く。嫌そうな顔をしない。
彼女が望む彼氏にならなければ。だから望む事はなんでも叶えようとする。
自分が望む自分にならなければ。だから完璧に物事をこなそうとする。
結果、不可能でした。当然ですよね。

上記の人たちが望む事って、一般的に言われてる事であって、
僕の親や恋人が、本当に望んでいる事とは違うかもしれないわけです。
違わないかもしれないけれど、程度があったはずです。
でも僕は、その程度が分かっていなかったのです。

自分に出来る範囲の事を完璧にやろうとする。この事自体はさほど悪くない。
問題なのは、その完璧は誰から見ての完璧なのか、という事。

周りに居る人から見て、完璧な仕事をしたとしても、
僕自身が完璧だと納得できなければ、その仕事は無意味と感じてしまう。
本来なら周りの人が完璧だというなら、それでOKのはず。
でも僕は納得できなかった。自分の基準で見ると完璧に見えないから。
それってもう、こだわり、ですよね。自己満足の世界。

自分の脳内での基準だから、いくらでも高く設定できる。
いくら頑張っても、どんどん基準が高くなる。次第に達成できなくなる。
すると、完璧に出来ない事はしない、という思考に偏ってくる。
完璧に出来ないんだから、やっても無意味だ、と。

そうなると、毎日が痛烈な自己批判と自己嫌悪の繰り返しです。

完璧に出来ない自分を責め、そんな自分を許せなくなる。自信を失っていく。
自分で勝手に決めた目標が、どんどん高くなっていくんだから、
一度も目標を達成した事が無いわけです。自信が付くわけが無い。

この手の完璧主義の人って、他人から見たらどうでも良いところでも、
異常なまでに完璧を求めるんです。見えない所まで完璧に。
トイレ掃除を例に挙げると、便器は異常なまでに磨き上げて、オブジェのよう
に光輝かせる。でも、そこで力尽きて、床や便座は放置してしまう。
満遍なく掃除すれば良いのに、一部分にこだわって全体が疎かになるのです。

手加減が下手で、あらゆる事を全力でやります。結局、自己目標を
達成できなくてストレスが貯まり、強烈な責任感から他人を責めずに
猛烈な自己嫌悪・自己批判を始めます。

すると、はい。鬱病患者の出来上がりです。患者の特徴はエセ完璧主義。
症状は、あきらめ、無気力、無関心。

全てを完璧にこなす事は出来ないと、認めたく無かったんです。
今までの自分を完全に否定してしまう事になるから。
自分が消えてしまいそうで怖かったんです。

えーっと。話のオチを付けられなくなりました。
以上です(´・ω・`)

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>京さん、頼遠さん、Julietさん
リンクありがとうございます。
彼女にフラレちゃって、その後すぐに共通の友達に彼女を頂かれちゃった
情けない男の日記ですが、頑張って自分を磨きながら書いてるので
生暖かい目で見守ってください。よろしくお願いします(’◇’)ゞ

コメント

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